Journey Out of the Box

RyoとNanaの世界一周帳

ボスニア・ヘルツェゴビナの衝撃

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2017.10.20(金)~21(土) モスタル

 

どうも、Ryoです(`・∀・´)

ユーゴスラビアの国々でもっとも衝撃的だった国。それがボスニア・ヘルツェゴビナです。

特にモスタルでは街中のあちらそちらに銃痕があり、廃墟も多く残っています。

遡ること約25年、ユーゴスラビア解体の際のボスニア・ヘルツェゴビナ紛争の名残です。

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ヨーロッパにもこんなところがあるのかと、自分がいかに平和ボケしていたかに気づかされました。

ただし、25年経った今では特に治安が悪いということはありませんので、旅行は普通に楽しめます。

 

さて、モスタルに到着後バスをおりて僕らが最初に向かったのはHostel Golden Bridge。

予約サイトのレビューやブログで宿のオーナーのステファンが独特で面白いと、みんな書いていたのでここに決めました。

そのステファンは、なんというか強烈。半分くらい何言ってるのか分からないけど、たしかに面白いし鬱陶しいくらい面倒見のいいおじさんでした。

 

宿で一息ついた後は、たまたま同じ宿に泊まっていた大学生のゆうかちゃんと軽く観光に行くことに。 

 

まずはスナイパータワーと呼ばれる廃墟へ。

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ここは元は銀行で、紛争当時、高さがあり狙いやすかったためスナイパーが潜んでいたそうです。

ちなみにサラエボのスナイパー通りと混同しがちですが、別の場所です。スナイパー通りでは動いてるものは全て狙撃されたそうです。

 

さて、そんなスナイパータワーは観光名所ではありません。ただの廃墟です。

上の写真のように入り口は封鎖されていますが、裏口から忍び込むことができるようになっているので、訪れる観光客も多いです。

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そんなところなので自分たちだけで行くのはちょっと勇気がいるので誘ってもらえて良かったです。

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名前だけでもショッキングですが、中身はもっと凄まじいです。

ガラスはバラバラに散らばり、落書きだらけの建物はボロボロ。血痕らしきシミもありました。

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しかし、スナイパーが狙ったと思われる屋上からの景色は切なくなるほど穏やかでした。

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続いて、そんなモスタルの希望、世界遺産スタリ・モストへ。

これはボスニャク人とクロアチア人のエリアを分けるネレトヴァ川にかかる橋です。

紛争時に破壊されましたが、2004年に再建されました。

現在でも川を隔てて街の雰囲気は違うように感じましたが、その両側を結ぶこの橋は両者の和解を意味します。

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ちなみに、訓練を積んだ潜り手によるこの橋からの飛び込みは街の若者の伝統となっていて、この街の名物になっています。

めちゃくちゃ引っ張ってお金を集めまくります。そして、ただただ普通に足から飛び込みます。そのしょぼさが僕はたまらなく好きでした笑

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ちなみに、どうやら水温が低いというところがポイントのようですが、全く伝わりません。そこ、ちゃんと伝えた方が良いんじゃないかな…いずれにせよ楽しませてもらいました。

 

宿に帰るとステファンが自分で撮ったYouTubeの動画を再生しながらモスタルの街、ボスニア・ヘルツェゴビナのことを色々と教えてくれました。

このとき、なんとなくですが、ステファンはこの街のことをとにかくみんなに知ってもらいたい、その一心でホステルをやっているのかなと思いました。

なんだか不器用ながら必死に訴えるステファンは人間味に溢れていて、みんなに好かれる理由がわかった気がしました。

 

そして、モスタルを去るとき。底なしに明るいステファンが目に涙を浮かべて送り出してくれたのが今でも忘れられません。

 

この街で受けた衝撃を抱え、僕らはモスタルを後にしました。