サラエボでもやっぱり衝撃
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2017.10.22(日)~24(火) サラエボ
どうも、Ryoです(`・∀・´)
続いて訪れたのはサラエボ。
モスタルからは絶景で有名な鉄道で移動しました。
しかし、良い時間がなく、早朝の列車は真っ暗で何も見えませんでした。そんなわけで写真もありません。
後半は少しずつ明るくなってくれたので良かったです。
サラエボに着くとトラムで街へ。
写真はありませんが途中スナイパー通りを少しだけ通りました。
サラエボと言えば第一次世界大戦の引き金となったサラエボ事件のラテン橋が有名です。
ピリピリした国際情勢の中、ここでオーストリアの皇太子が暗殺されたことで戦争へと発展します。
ボスニア・ヘルツェゴビナは色々な歴史を抱えています。
そんな中で、ここでもやはり紛争のことが気になります。
初日は街中を観光し、二日目はトンネル博物館へ。
紛争時に市民を逃したり、物資を調達するために掘ったトンネルをそのまま残して公開しています。
公開されているのは一部分ですが、空港の下を通したそうです。
当時サラエボの街はユーゴスラビア軍に包囲されており、サラエボ市民の生死は空港を横断できるかどうかにかかっていました。
当然、堂々と地上を横断すれば殺される可能性が高く、このトンネルは助かるための唯一の希望でした。
ところで、このトンネル博物館、アクセスがあまりよくありません。
行くときはそれほど苦労しませんでしたが、ここでひたすらバスを待ちました。
時刻表なんてものは当然ないので、運良くバスが来るのを待つしかありません。
続いて、War Childhood Museumへ行きましたがこちらも写真がありません。
なんでだろう…インパクトが強くて写真どころじゃなかったのかもしれません。
こちらの博物館は紛争当時子供だった方々の体験を展示しています。手紙や形見など、様々なものがあったと記憶しています。
サラエボで泊まった宿のお父さんもやはり戦争について話していました。
戦争はまだ終わっていないと言っていたのが切なかったです。
ボスニア・ヘルツェゴビナは紛争後、3民族が複雑な政治を行っていることもあり、今でも民族間にわだかまりがあるようでした。
戦争は何も生み出さない、それを目の当たりにしたようでした。
ところで、モスタルに続いてこんな内容になってしまい、このブログからボスニア・ヘルツェゴビナにちょっと怖いって印象を持たれてしまわないかを少し恐れているのですが、僕らの興味と時間の関係で行き先が偏っているだけです。楽しく観光できるところもたくさんあると思います。
また、治安もさほど悪くなく、観光を楽しみつつ多くのことを学べるので、個人的にはすごくおすすめの国です。
そういえば、宿のお父さんはムスリムなのにワインをガンガン飲んでました。
バルカン半島のイスラム教は全体的にそういう宗派のようですが、緩くておもしろい人でした。
サラエボを去るときもバス停まで車で送ってくれて本当に親切で、モスタルを含めこの国で嫌な思いをすることは一切ありませんでした。
この国に来て良かった。複雑な思いを抱えながらも、それだけは間違いないと確信し、次へと進みます。