まだマケドニア共和国だった当時
日本→中国→モンゴル→ロシア→フィンランド→エストニア→ラトビア→リトアニア→ドイツ→フランス→ドイツ→タンザニア→ルワンダ→ザンビア→ボツワナ→ザンビア→ナミビア→南アフリカ→レソト→南アフリカ→オランダ→アイスランド→ノルウェー→デンマーク→ドイツ→スイス→イタリア→スロベニア→クロアチア→ボスニア・ヘルツェゴビナ
どうも、Ryoです(`・∀・´)
出発にふさわしい爽やかな朝。
マケドニアといえばアレクサンドロス大王を思い浮かべる方も多いと思いますが、実は歴史の教科書に出てくる古代マケドニア王国はどちらかというと現在のギリシャ北部に位置します。ややこしいな。
そこで国名に反発するギリシャとマケドニアは長い間対立してきました。
それが少し前についに「マケドニア共和国」が「北マケドニア共和国」に改名するということで決着がついた…と思いきや、どうやらその後行われた国民投票の投票率が足りなくて無効になったようで、まだ改名されてないみたいです。
ということで、当時も今もマケドニアでした。
さて、アルバニアに近いオフリドへ向かった僕らですが、アルバニア発のバスはアルバニア人の居住区までしか行ってくれません。そのため、バスかタクシーに乗り換える必要があります。色々ややこしいなマケドニア。
たしかこの時はバスが全然来ない上にタクシーの勧誘があまりにも粘り強かったのでタクシーを使ったと思います。
そんなオフリドはこんな街。
写真がっ!全然っ!!
ないじゃないかっ!!
夜のぶれっぶれの写真しかありませんでした。
湖のほとりにあるリゾートで、とても居心地の良いところです。
あとは教会や要塞があります。
そんな感じです。
ちなみに1枚目の右側が気になった方、良いアングルの写真がないのですが…
アレクサンドロス大王です。ギリシャ大丈夫なのか…
しかし本当に引くほどアングル下手くそだな。
ロンドン風のバスが走っていたり、
凱旋門風の門があったりします。
スコピエの街は現地人からもかなりの不評のようですが、もう少しどうにかならなかったのかなと思ってしまいます。斬新でおもしろいんだけどさ。
ちなみにスコピエは1960年代の大地震によって街の80%が破壊されてしまいます。
その復興の際に都市計画をしたのがなんと日本を代表する建築家の丹下健三でした。
世界のタンゲとして知られ、代々木体育館や広島平和記念公園をはじめ、数え切れないほどの作品を残しています。
ところがこの都市計画、現地で地元や他国のチームによって大幅に変更が加えられ、あとはもうそんな感じです。
一応、丹下さんの原案は旧スコピエ駅にかろうじて残っているそうです。
そんなスコピエですが、最後に簡単に触れておくと、ノーベル平和賞を受賞したことでも知られるマザー・テレサの出身地です。マザー・テレサ記念館もあります。
マケドニアはなぜか写真をほとんど撮っていませんでしたが、なんだかんだで結構楽しんだような気がします。
特にスコピエは街が斬新すぎておもしろかったです。
次も、マニアックな国へ行きます。