ルーマニア
日本→中国→モンゴル→ロシア→フィンランド→エストニア→ラトビア→リトアニア→ドイツ→フランス→ドイツ→タンザニア→ルワンダ→ザンビア→ボツワナ→ザンビア→ナミビア→南アフリカ→レソト→南アフリカ→オランダ→アイスランド→ノルウェー→デンマーク→ドイツ→スイス→イタリア→スロベニア→クロアチア→ボスニア・ヘルツェゴビナ
2017.11.20(月)~21(火) ティミショアラ
どうも、Ryoです(`・∀・´)
せっかくここまで来たのでルーマニアにも行ってみたい。ところが、首都のブカレストはどうやら治安があまり良くないことで有名のようです。
そんな中、ティミショアラは治安面では問題なさそうだし、ルートを組む上でも都合が良かったので行ってみることに。
まあ、結局両替時にぼったくられたけどね。時間がなくて急いでいたときにやられたのですが、焦るとダメですね。数百円程度でしたが気分の良いものではありません。
そんなティミショアラへはベオグラードからの乗り合いバンで行きました。
これが時間が全く読めない上に、セルビアとルーマニアに時差があることを忘れていたため、宿に伝えていた時間より大幅に遅れて夜遅くにティミショアラに到着。
ティミショアラでは民泊を利用し、鍵は宿のおじさんから手渡しだったので、大迷惑をかけてしまいました。
ところがこのおじさんがものすごく親切で、嫌な顔一つせず温かく僕らを迎え入れてくれました。しかもめっちゃ良い部屋。どうやら空いてたから部屋を移してくれたみたい。
正直ティミショアラの一番の思い出はこのおじさんの優しさかもしれない。
翌日は街中を観光。
ティミショアラはルーマニア革命始まりの街。後に勝利広場と呼ばれるここがその最初の舞台です。
これ、写真撮る向き間違えたな…たしかこの背後にオペラハウスがあって、そのオペラハウスに向かって市民が集結してデモを行ったところから革命が始まったっていうストーリだったと思います。 ちょっとうろ覚えですが。
このときバルコニーに誰かいたと思ったが誰だったかな。もし知っている人いたら教えてください。
ちなみにオペラハウス自体は夜ですがこんな感じ。
ルーマニア革命については革命記念館で詳しく知ることができます。こういうところって良くわからんで終わったしまうことが多いけど、ここは結構わかりやすく説明されていたように記憶しています。
ルーマニア革命は1989年。そのちょっと前にベルリンの壁が崩壊、ルーマニアを含め各地で共産主体制がバタバタと倒れ、ソ連崩壊に向けて一気に加速しました。
1989年というと僕はすでに生まれています。歴史というのは昔のことのように感じますが、僕らは実は歴史の上を生きているということを実感しました。
革命とは関係のない見所もいくつかあります。
勝利広場の奥にあるのはルーマニア正教の三成聖者大聖堂、ティミショアラのシンボルと言える教会です。
それから統一広場は色々な文化の建築物が混ざってて面白かったです。
中心部はこじんまりしているので、これらの観光地は1日で十分回ることができました。
そして翌日、かなり早朝の出発だったにも関わらず宿のおじさんがわざわざ駅まで送ってくれました。
民泊って当たり外れがないわけではありませんが、時々こういう温かい出会いがあります。
やはりティミショアラの一番の思い出は間違いなくこのおじさんでした。